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挑戦的萌芽研究 中国古典文学における異文化イメージの形成

異文化プロジェクトとは

基本データ

種目挑戦的萌芽研究
課題名中国古典文学における異文化イメージの形成
課題番号21652034
研究代表者大野圭介(富山大学准教授)

研究目的

  1.  研究目的の概要

     本研究は中国古典文学に現れた異文化イメージについて、その特質を解明するとともに、それらを生み出した人々の心性を正確に把握しようとするものである。具体的には、これまで作品別に散発的にしか行われてこなかった、先秦両漢文学における異文化イメージの研究を、伝世資料のみならず近年発見の相次ぐ出土資料も考慮に入れながら、総合的な視野から行うことによって、中国文学におけるエキゾチシズムの淵源を解明することを目的とする。

  2.  研究期間内に何をどこまで明らかにするか

     前節で述べた目的を達成するため、以下の課題を研究期間中の目標とする。

    Ⅰ 「中国の内なる異景」としての楚のイメージがいかにして形成されてきたかを、『楚辞』『山海経』『淮南子』など楚文化を反映しているとされる伝世文献や出土資料と、漢賦や漢魏六朝期の詩歌との対比から探る。

    Ⅱ 『楚辞』に代表される「楚歌」が、南方エキゾチシズムを象徴する詩歌形式となっていく過程を解明する。 

研究計画

 研究計画の概要

 本研究は「研究目的」2節に掲げた2つの目標に応じて、次の2項目を柱として行う。

(1)『楚辞』『山海経』『淮南子』など楚文化を反映しているとされる伝世文献や出土資料の精査によって、異文化としての楚のイメージの本質を探る。
(2)漢代の辞賦や漢魏六朝期の詩歌における「楚歌」形式の作品を精査することにより、『楚辞』に代表される「楚歌」の形式が、南方エキゾチシズムを象徴する詩歌形式となっていく過程を解明する。

 初年度の半年間は研究環境の整備に充て、平成21年度下半期から平成23年度上半期までの2年間を上記2項目の研究期間とし、最終年度の下半期は研究の最終的な取りまとめの期間とする。

 平成21年度の計画

 本年度はこれまでの『楚辞』『山海経』研究の成果を踏まえ、楚文化とかかわりの深い伝世文献や出土資料を精査することに努める。

 精査すべき文献としてまず筆頭に挙げられるのは『淮南子』である。特に辞賦に代表される漢代の文学作品に思想・修辞の面でどう影響したかに留意しながら、これの精読を行なうことは、本研究の最も基礎的な作業である。

 また『楚辞』の中心的作者屈原の弟子であったという宋玉の作とされる「高唐賦」「神女賦」は、『楚辞』と漢賦の間をつなぐ作品と目されているが、ここには『山海経』や『淮南子』にさかんに登場する、神々の住む楽園のイメージが色濃く反映している。しかしその楽園イメージは、楚王に政治に励むことを勧めるための諷喩の材料として用いられており、原初的な楽園とは大きな隔たりがある。これらの諸作品を通じて、楽園イメージの変遷の過程を追っていくことも、本研究に必要な作業である。

 異文化イメージという観点から対比すべき資料としては、『詩経』も挙げられる。『詩経』の中で黄河流域の諸国の民間歌謡を集めた「国風」は、十五の国・地域に分かれているが、どの地域の歌も四言を基調とする形式は同じで、大きな差異は見られない。『楚辞』が『詩経』とは全く異なる六言を基調とし、しかもその中にはさまざまな形式を含んでいるのとは対照的である。この要因についても、最新の研究成果を広く収集しながら考察を進める。

 さらに近年発掘が相次ぐ出土資料についても、『詩経』から『楚辞』、さらに漢賦と大きく変化してきた古代の韻文の間をつなぐ存在となる可能性があるものであり、最新の情報や研究成果の収集に努めるのは当然である。関係資料の購入はもちろん、中国の所蔵機関での実見による調査も必要に応じて行なう。この作業は個人で行うには困難が生じることも考えられるため、その場合には出土資料研究を手掛ける研究協力者や、中国側の研究者の助力を仰いだり、研究会に参加するなどの手段を講じる予定である。

 以上の作業を通じて、これまで文学・思想・歴史の各方面で個別に研究され、一面的なとらえ方しかされていなかった楚文化の本質とそのイメージを、より明確かつ総体的に理解することをめざす。

 平成22年度の計画

 本年度上半期は、昨年度に引き続き、『楚辞』『山海経』『淮南子』など楚文化を反映しているとされる伝世文献や出土資料と、諸子や漢賦などの中原文献との精査比較によって、中原における楚、楚における中原のイメージを探ることに努める。

 同下半期からは、上半期までの研究成果を踏まえながら、本研究のもう一つの柱である、「楚歌」形式が南方エキゾチシズムの象徴として定着していく過程を解明する作業に取りかかる。

 『楚辞』を濫觴とする楚歌形式は、漢代においては辞賦に取り込まれて隆盛を見るが、魏晋以後は民間の歌謡である楽府から起こった五言詩に押され、次第に文学の主流からは外れていくことになる。しかし六朝期以後も、史書などに散発的に記録されたいわゆる「土人歌(辺境の庶民の歌った民謡)」は、楚歌形式をとることが多く、専門の詩人の作品にも、あえて楚歌形式を用いたものが見られる。これらはまだ明確にエキゾチシズムを感じさせるものではないが、さらに後世になると、専門の詩人が地方の民謡を模して歌った詩には、楚歌形式を用いることが普通になる。

 「異国情緒」の発露としての楚歌形式の使用がどのあたりから始まったのか、その背景に詩人たちの心性のどのような変化があったのか、あるいはどのような外的要因があったのかを解明するのが本期間に行うべき作業であり、そのために各種電子文献CD-ROM等を用いて、六朝から唐にかけての楚歌形式の詩歌を収集し、その精読と分析を行なう。

 平成23年度の計画

 本年度上半期は、昨年度の成果を踏まえ、漢代の詩歌や辞賦において南方エキゾチシズムがいかにして形成されていったかを、各種電子文献CD-ROM等を用いながら精査することによって解明する。

 同下半期には、上半期までの研究成果を踏まえながら、本研究のもう一つの柱である、「楚歌」形式が南方エキゾチシズムの象徴として定着していく過程を解明する作業に取りかかる。「異国情緒」の発露としての楚歌形式の使用がどのあたりから始まったのか、その背景に詩人たちの心性のどのような変化があったのか、あるいはどのような外的要因があったのかを、六朝から唐にかけての楚歌形式の詩歌を収集し、その精読と分析を行なうことによって解明する。

 さらに本研究全体の総括を行い、『楚辞』が南方エキゾチシズムの象徴として定着し、後代の詩歌の表現形式に影響していく過程に関して取りまとめる。

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