基盤研究(B)一般
 中国古代戦国期における楚文化の学際的研究

平成21年度の計画

  本研究が採択された場合は、早急に臨時例会を開催し、具体的な行動計画の打ち合わせを行う。また中国側の海外研究協力者との第1回研究会を、21年9月に中国・深圳で開催される予定の「楚辞国際学術研討会」の時期に合わせて行い、研究交流の具体的な方針を詰める。 研究代表者・分担者は鋭意連絡を保ちながら、下記の分担に基づいて研究に着手する。

  1. 伝世資料から見た楚文化と中原文化

  2. 出土資料から見た楚文化と中原文化

  3. 『楚辞』研究の新手法

1 伝世資料から見た楚文化と中原文化

 『楚辞』を中心に、中原の諸子百家の文献、さらに『楚辞』以後の漢代初期の思想や文学の書物・作品をも視野に入れ、これらの相互関係を詳細に分析することによって、『楚辞』と中原文献の間のミッシングリンクを探る。この作業は主として大野・谷口・矢田・中村が担当する。

 大野はこれまで行なってきた『山海経』の成立に関する研究をもとに、戦国期の地理認識及び「異文化」観をキーワードとし、諸国間の往来が活発化した戦国期において、中原から見た楚、楚から見た中原はどのような「異国」「異文化」として認識されていたのかを探ることに努める。中原の地理観を反映しているとされる文献には『尚書』禹貢があり、近年出版された『歴代禹貢文献集成』は、現在では見ることが難しい注釈や研究を多く含んでいて、購入して精査すべきものである。さらに『戦国策』など当時の地理認識や「異文化」観をうかがうことのできる伝世資料及び出土資料をも考慮に入れつつ、楚文化と中原文化の相互作用に関する総体的な理解へ歩を進めることをめざす。

 谷口はこれまで行なってきた漢代の辞賦に関する研究の基礎の上に、『楚辞』ならびにそこに反映した楚文化の、漢代における受容と変容について研究する。楚文化と漢代文化の関連としては、漢代の鏡銘と『楚辞』の関連がつとに指摘され、近年にも石川『楚辞新研究』等の成果がある。しかし、検討すべき課題はまだ多く、特に「九歌」と漢郊祀歌の関係は、谷口の最近の「九歌」研究ともかかわって、研究の出発点となりうるものである。漢代の作品と『楚辞』の文辞を表面的に比較するのみならず、出土文物をも参照して、『楚辞』受容史にとどまらない楚文化受容史の構築をめざすが、それは同時に、『楚辞』から漢代文学へという文学史上の1ページに、新たな視点を提供することにもなろう。『楚辞学文庫』等の叢書はもちろん、最新の成果を系統的に蒐集して、研究条件の整備を図る。

 矢田はこれまで進めてきた楚辞作品の解釈に関する研究を踏まえ、後漢期に定まった楚辞の伝統的解釈が、漢代儒家思想のいかなる影響を受けて成立したのか、という点について、儒教の祖である孔子と楚辞の祖とされる屈原に対する評価の変遷を対比的に辿りながら考察していく。 中村は「楚」と「中原」の相互関係について、「華夷」概念をキーワードとして援用しつつ両者の実際上の関係をも踏まえ研究を行ってきた。この成果を踏まえ、楚文化の重要な所産である『楚辞』に拠りながら、「中原」と共に多元的世界を構築した「楚」の地域文化について解明を試みる。

2 出土資料から見た楚文化と中原文化

 従来から出土文物の図像との比較による『楚辞』研究を進め、「戦国中期諸王国古籍整備及上博竹簡『孔子詩論』」(『詩経研究叢刊』第二集)等の論著がある石川が中心となり、『楚辞』作品・伝世資料全般・考古出土資料(同地同時資料及び近年大量に発見されている戦国期の出土資料を含む)の比較考証をさらに推し進めていく。この作業には吉冨も加わり、さらに海外研究協力者黄霊庚・湯漳平両氏の助力も仰ぐ。

 石川は本年度はいわゆる屈原作品と目されている以外の「楚辞」作品についても、注釈も含め、全面的見直しと再検討を行う。特に王逸『楚辞章句』は南朝宋時に一旦滅んだという伝承もあり、その学統については厳密な検討が必要である。本計画で購入予定の『楚辞文献集成』全30冊はその作業に大いに資することであろう。  また上海博物館蔵楚簡の調査はもとより、最近、湖南大学が香港から入手した膨大な量の「秦簡」、同じく清華大学が入手した尚書逸篇(散佚した『古文尚書』とみられる佚文)等を含む「戦国竹簡」2100枚(2008年10月22日新華社発表)の情報蒐集に努めることは当然であり、石川・吉冨が中心になって本研究組織全体で取り組む予定である。

 吉冨はこれまで進めてきた中国古代神話や歴史伝承の研究をもとに、『史記』にさえ収録されなかった戦国楚国が保有していた出土資料と前317年に東周から楚に贈られた「文武の胙」がもつ意味から、『楚辞』天問篇を中心に後漢王逸の解題問題も含めて伝統的解釈を全面的に見直すことに努める。

3 『楚辞』研究の新手法 

 近年試みられつつある新たな手法による『楚辞』研究と、伝統的な研究との学際的連携を図ることは、本研究の眼目であり、澁澤が民俗学・本草学の観点から、田宮が計量分析的手法によって、野田が中国語学の観点からこの作業に当たる。

 澁澤はこれまで行ってきた酒材に関わる楚国の農業状況の考察と『楚辞』離騒の本草学的考察とをふまえ、酒の享楽・医学・祭祀の三側面を、それぞれ「楚辞」九歌・招魂、馬王堆出土簡帛、巫風における幽蘭佩服の俗を通して捉え、「楚国酒俗考」と題して楚文化における酒俗を総合的に考察する。楚において飲酒の風が盛んなことは、伝世資料や近年の出土資料・考古遺物に如実に表れているが、従来まとまって論じられることはなかった。しかし醫字に酒字が含まれるように、古代医術において酒は重要な要素である。楚文化が巫祝文化であり、巫祝が当然巫医の職掌を兼ねていた以上、酒俗の検討は楚文化理解の上で忌避できない問題なのである。

 田宮は中国文化史研究の立場から屈原イメージの変遷を取り扱う。具体的には、屈原及び屈原賦を語る漢代以来の語彙を屈原イメージの媒体として扱う。楚辞研究では“牽強付会”として排されがちな注釈者の思い入れの強い叙述も、本研究では経学における「述べて作らず」(=経書への注の形で自論を展開する)の伝統を念頭に、注者の思想を載せる著述として重視し、繰り出される語彙を手がかりに注釈者の思い入れや“牽強付会”の方向、その動機の解読を試みる。近年急速に進んだ古典文献の電子文書化によって、このような文化史的な関心を扱うことが可能となった。課題もあるが、今までのミクロな視点では見えなかったものが見えてくることが期待でき、また課題の洗い出しと解決のためにも敢えて実践を試みるものである。

 野田は従来から中国語学の観点からの『楚辞』研究を行ってきており、「楚辞韻読」(『九州中国学会報』38,2005年)等の業績がある。これらをもとに、中原と異なる言語を持つとされている楚の文芸の実態についての解明を更に推し進める。

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